北軽井沢の白樺林の中にある、『幸せの黄色い洋館』より、日本中・世界中へ素晴らしい高波動のエネルギーをお届けしています(^^*

☆とても多くいただくご質問

「片思い」と言う現象はどうして起きるのか・・・という話。

そして、どうやったら抜け出していけるのか・・・という話。


について。

(^^*

「両思い」は、分かりやすいです、お互いの波長がピタッと揃って、誰と居るよりも一番心地よい関係になっている状態です。

全く同じには絶対になれませんが、波長の波がとても合っているので、すごく心地よくて、膨らんで膨らんで、春みたいになります。

両思いの場合と片思いの場合、はっきりと大きく違うのは何なのでしょう。

片思いの場合も、出会って好きになるという事自体で、実はすでに「波長が合っている部分がある」状態、「同調」は起こっています。

ただし、同調の中にも、超ピッタリの、「右の靴と左の靴みたい!!」っと言う場合と、

一階〜二階の階段さんの

 

一番上の部分

一番下の部分

のように、ちょっとだけ接点があるけど、全体的にみると先輩と後輩のようにだいぶ違いがある、と言う場合があります。



一番下の階段さんが、一番上の階段さんを好きになった場合。

 

ほんの少しの接点があるけれど、ピッタリではないですね。ちょっと距離があります。

でも一番下の階段さんが、上の方の階段とペアになりたくて、上に上がっていこうとしているなら、

「おかしいな、『同じ階段だ』っていう接点がある感じがするのにな。

 

私はいつも見つめていて、こんなに好きなのに!

 

でも何だか遠い」

と言う感じになります。


逆に上の方の階段さんが下の方の階段さんを好きになった場合、下の方の階段さんは、いくら片思いされても

「上の方の階段なんて見たことない、足を踏み入れた事もない、全然想像できないから、この人とはあまり接点がない」

と言う気持ちになり、ピンとこないという感じになります。

でも上の方の階段さんにしたら、下の方の階段は一度通った道なので、すごくなじみがある感じがして

 

「絶対あの子とはピッタリのはずなんだ!あの子のことよくわかるんだ、こんなに愛してるんだ!」

 

と言う感覚になるかもしれません。


また、階段の例えだと、上下になりますが、左右にずれていたり、前後にずれていたり、いろんなパターンが存在します。

どの場合も、その後、お互いが歩み寄ると、ピッタリになる事も、もちろんあります。

その他、こんなパターンもあります。


ピアノの鍵盤のミとファは隣同士ですが、近いからと言って相性ピッタリかと言うとそうでもありません。

一緒に鳴らしたら不協和音になってしまうとなり同士より、ちょっと離れたミとソの方が相性が良かったり。

そういう場合は、相手と近いか、いつも側にいるかと言う事よりも、相手にとって心地良い、対等で響き合う間柄になっているかどうかが、とても大切になります。

そしてそのためには、自分自身が誰かにとって「心地よい波長」状態になっているかと言う事も大切です。


「心地よい波長」状態になっている人は、片思いもあまり長くなく、両思いになりやすい傾向があります。

なぜならその人は、自分で自分が、本心から「心地よい」と言う状態だからです。

そしてこの私たちが暮らす世界は、「自分に同調する出来事しか自分のもとにやってこれない世界」なのです。

前後左右、ちょっとずれてた人が現れたとしても、自分が「心地よい人」になっているならば、心地よい人しか現れませんので安心です。

もし、今、誰かに片思いだったとしても、あなたが「自分自身が自分にとってとても心地よい人だ」と感じる状態になっているなら、同じ波動の、心地よい相手と心地よさを分かち合う事が出来るので、遠ざかる事はなく、更なる同調を見つけ出す事が出来ます。

今片思い中なら、まず自分自身で「心地よいなあ」と思う自分になるように心がけてみてください。

そうすれば、自分の前に現れる相手の人も「心地よい」状態に変化して行きます。

嫉妬したり、泣いたり、落ち込んだり、イライラしたり、ずるくなったりすると、それはもう「心地よい」自分ではありません。

悪口を言ったり、ジャッジしたり、責めたり、バカにしたりするエネルギーは、「心地よさ」と反対側にあります。

最高に心地よい自分でいる事で、自分で幸せを呼び込む事が出来、さらなる「正確な同調」を引き寄せることになります。

両思いになった時の事を想像したり、思いだしたりしてみてください。

その最高に幸せな瞬間の自分を「私最低の人間だ」「私なんか大嫌いだ」なんて思うでしょうか。

きっと誇らしくて、「私、私の事好きだなあ」って思えるんじゃないでしょうか。

そういう自分の時に、最高の同調はやってきます。

まず「両思いになる」事が大切なのではなく、まず「最高の自分になる」事が先なんですね。

最高の自分を生み出せる自分になった時、「両思い」という最高の同調がやってきてくれます。

もちろん、同情を引いたり、無理難題を吹っ掛けたり、ストーキング的な事をしたりと、「自分の波長に相手を無理やり引き込もう」としたとしたら、それは同調ではなくなります。

本当の意味の同調は、「いつくしみ」ただその中にある、ということなのだと感じます。

さだまさしさんの歌に

相手に 求め続けて行くものが恋 奪うのが恋
与え続けて行くものが愛 変わらぬ愛

と言う歌詞があります。

これが真理なんだろうと私は思います。

恋の間は、片思いに終わったり、両思いでもうまく行かなかったりします。

私もそうでした。

でも、そこから脱出できた時に、ようやく本当に愛と言うものになっていくのでしょうね。

寄り添う事、そして自分を「最高に心地よい」と自分で思える状態にする事。

それが片思いと言う状態から抜け出すカギだと、思います。


(^^* 


がんばってください? 

どうぞ、大切だと思える方を、たくさんたくさん、いつくしんで下さい?

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